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アライアンス教団
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『四重の福音』
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救い主

「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」 使徒行伝4:12

   罪深い人間に与えられる最初の祝福がこれです。つまり主イエス・キリストによって罪の赦しを頂き、神のみ前に罪なき者とされ永遠のいのちを与えられます。

   ここであなたは、クリスチャンなら誰でも皆、それを知っている筈ですとおっしゃるかも知れません。しかし、今日、多くの教会員達の中には、福音の語るこの単純な教えから遠ざかっている人がいるという事も又事実ではないでしょうか。大抵の人が、罪とか罪の罰とかいう事については、無視するかさもなければ軽視しています。「死後の罰について」など誰も聞きたがりません。最近の傾向は、神の律法の権威についてとか、応報、確実にやってくる審判、といった問題については、実にうまく論理的な言いまわしをしてぼかして終います。

   罪というとき、それは災難、悪病、悪い遺伝、不幸なめぐり合わせ、と言ったように外からやってくるものを指しているのではありません。真実の、唯一人の神を神として心から崇め畏敬する代わりに、自分を神として思い上がり、自己中心に生きること、これが罪です。もちろん、その結果は自分自身が不幸になるばかりか、他の人をも不幸にしてしまいます。そして、人は皆この罪とその力に縛られていますから、どんな努力や自己修養を積んだとしても、そんなことぐらいでこの罪を解消することはできません。それはただ無限の神の恵みと力による以外にはありません。
同じく、キリストによる贖罪という問題についても、罪の問題と同様に例の「言いまぎらし」が幅をきかします。理論で抽象化してしまいます。罪というものが人間の力で片付くようなら、神の助けは要らないでしょう。そこで、罪をぼかしたいい加減な倫理主義は、贖罪の教理をあいまいにしてしまいます。キリストの十字架は、単に英雄の犠牲行為を象徴するものか、または、愛と寛容の模範といった程度のことにしています

   しかし、聖書に書いてある通り、イエス・キリストはわたし共の罪のために死なれました。ですからその死は「身代わりの死」です。本来なら罪人が自分で支払わなければならない罪の罰を、罪のないお方が罪人に代わって支払って下さったのです。こうして、このお方の血によって罪人は罪をゆるされます。これを贖いといいます。更に、主イエスは代わって死なれただけではなく、その死から復活されました。この復活によって、罪人は神のみ前に罪なき者として見て頂けるばかりでなく、神の子として受け入れて頂き、たしかな望みに生きることができるようになりました。そこで、人は誰も皆、神に対して謙遜に罪を悔い改め、イエス・キリストを救い主として信じますなら、いつでもこの救を受けることができます。そして罪を赦され、心を新しくされ、神の子と呼ばれ、御国の栄光の世嗣となり、神の家族の一員としての特権にあずかり、恵みから恵みへと信仰に進むことができます。

   さて皆さん、あなたにとってイエス・キリストはこのような豊かな意味をもった救い主でいらっしゃいますか?又、このようなすばらしい救い主として、イエス・キリストを周囲の人達に証しておられますか?

「よくよくあなたがたに言っておく、わたしの言葉をきいてわたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命をうけ、又さばかれることがなく、死から命に移っているのである。」  ヨハネ福音書5:24


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