アライアンス教団
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アライアンスの歴史

   アライアンスのルーツはアルバート・B・シンプソン博士の働きと幻にさかのぼります。福音未伝の地と同様、北アメリカ本土の群集の霊的必要に刺激された一人の長老派聖職者シンプソン博士は力強い伝道と聖書教育の働きに乗り出しました。そしてイエス・キリストのよきおとずれを宣言する願望を持ったさまざまな教団の背景を持った人々が加わったのです。彼らはマタイによる福音書24章14節におけるイエスのお言葉「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられ、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます」の故に、このよきおとずれをすべての国々に早急に伝えなければならないという思いに駆り立てられました。この新しい宣教団体が、この後間もなく福音派運動の主流となったのです。今日この連盟は世界宣教の使命を持つ教団として急速に成長しています。

   アライアンスは、1888年に初めて日本に伝道を開始しました。この年に、ミス・ケニーが横浜に移住を始め、ルッドロー博士夫妻が神戸で伝道を始めました。当時は外国人は開港地以外には居住することが許されない時代でした。この制限が解かれると、アライアンス伝道の中心地は広島県に移り、急速に拡大していきました。この頃は、村落伝道と学校や天幕集会などの聖書研究に重点をおいていました。次第に教会生活も発展していき、最初の報告によると、十一の完全に組織された教会ができており、その中の五つは完全自給教会であったということです。1908年はアライアンス教会の伝道にとってリバイバルの年であり、その後の数年間の伝道と集会活動の進展には見るべきものがありました。

   アライアンスの日本伝道が開始されて間もなく、シンプソン博士は日本に来ました。彼は直ちに日本人教役者の指導的能力を認識し、日本伝道には、はじめから少数の宣教師による機関と、日本の男子や婦人を教育、訓練してこれを用いるべきであるとの原則を立てられました。幸いなことに、この原則によって戦時中にもなおその働きを維持することができたのです。日本のアライアンス教会は、国内の全キリスト教会の霊的生活のために、その霊的メッセージと活発な伝道とをもって、よりよい貢献をすることができました。なお、アライアンス教会は、日本の聖書を信じているすべての諸教派の群との交わりを保ち、共に福音のために進んできました。

   太平洋戦争中、アライアンス教会は他教派と同様に非常な苦難の道を経てきました。しかし終戦後の1951年にアライアンスの少数の教役者が二人の婦人宣教師の激励に応えて再び教団を組織し、アライアンス・メッセージを宣言し、伝道するために再出発をしました。

日本アライアンス教団 東城キリスト教会
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