説教原稿

2010年6月13日
「私は神を信じています」
使徒言行録27:9-26, 33-38

ローマ書を読み進めておりましたが、今は使徒言行録に移っております。パウロが、異邦人伝道に祝されて、多くの華々しい宣教の成果を上げたにもかかわらず、彼は、エルサレムにいる貧しいクリスチャンたちを助けたいと、危険を承知でエルサレムに向かいます。クリスチャンのみならず、ユダヤ人たちにも、イエス・キリストを果敢に伝えたいという一途な熱心でエルサレムへ向かおうとしていたことを知りました。
私たちは使徒言行録から、ローマ書の後の彼の歩みを追っておりますが、前回までには、彼がエルサレムの神殿で律法に従って捧げものをし、そうしているうちに混乱状態になり、彼は奇しくも、祭りのため集った多くのユダヤ人の前で、彼がどういう経緯でクリスチャンになったのかを語りました。じっと聞き入っていたユダヤ人たちですが、話の最後に、彼が、主から、「行け、わたしはあなたを遠く異邦人のために遣わす」と言われたことを語ると、ユダヤ人たちは、声を張り上げ、「生かしてはおけない」と、混乱状態となりました。

ローマの市民権を持つパウロは、兵隊によって守られましたが、数々のユダヤ人の暗殺計画が起こり、依然油断を許さない状態にありました。そんな時夜、兵舎に横たわる彼の傍に主が立って、言いました。「勇気を出せ。エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」主はいつも彼と共にいて下さり、すべての危険から彼を守り、彼を用い続けていて下さるのです。
パウロは、福音を多くの人に伝えるため、ローマのカイザル皇帝の前に出る道をたどるのです。彼はそうして、手紙を書くだけで会うことのできなかったローマのクリスチャンたちに出会う道が開かれることになりました。

そして今日開かれました、使徒言行録の27章には、パウロのローマへの船旅の様子が記されています。
船旅は、困難を極めます。死を覚悟するような移動となりました。しかし、ここでも再び、主が共にいて励まし、道を切り開いて下さるのです。
旧約聖書にヨナ書がありますが、このパウロのストーリーと正反対の内容が記されています。
ヨナは、イスラエルの敵国アッシリアの首都ニネベに宣教するように主から命令を受けますが、敵国の救いを望まず、主の命令を拒んで反対方向の舟に乗りこみます。すると海は大嵐となり、船乗りたちがいったいどうしてこんな大嵐が起こるのかと、くじを引きますと、他ならぬヨナが原因ということが分かりました。ここでヨナは、事の次第を話します。わたしは神を信じるものです。この神から命令を受けましたが、私はこれに従わず、この船に乗り込みました。それがこの結果ですと言うと、舟に乗っていた異教徒たちが、一体あなたは何と言うことをしたのかと言います。わたしを海に投げ込めば海は収まってあなたがたは助かると言っても、異教徒たちは、ヨナの命を救おうと、それを聞いても必死に陸につけようとしますが、それもかなわず、とうとうヨナを海に投げ込みます。彼らは、海にヨナを投げ込む前に、「どうかこの罪のない者の血を私たちに報いないで下さい」と祈るほどでした。
主を信じるものが主に逆らい、主を知らない人たちを巻き込み、迷惑をかけ、彼らのお世話になり、同情を受ける。本当にヨナは、格好の悪い役回りでしたが、海の中、沈みゆく時、大きな魚に呑み込まれ、そのおなかの中で息が出来、命が助かって、主に悔い改めの祈りをささげると、魚は彼を陸に吐き出したというものです。非常に興味深い、お話です。

今日パウロは、それとは正反対に、ユダヤを捕囚状態にしている時の帝国の首都ローマへ、福音を伝えに出かけていく途上にあります。ユダヤ人の陰謀渦巻くエルサレムであろうと、異教の帝国の中心であろうと、主の励ましの中、果敢に出かけていくパウロでした。
ヨナは決して、怠け心から、ニネベに行きたくないと言ったわけではありませんでした。彼は、愛する自分の国を常に圧迫し、滅ぼそうとしていた民のゆえに、その宣教を拒んだのでした。しかし神様の御心は、すべての造られた民が救われることでした。

パウロの宣教もまた、ヨナの宣教と一緒でした。神はどんな民族でも救われる。神によってつくられない民は、だれ一人としていないんだ、そういうことは、すでに旧約聖書の時代から語られていたのです。

今日、私たちは、この人は決して救われまいと思っている人がいるでしょうか。神の敵として、教会を圧迫する人であったとしても、しかし、その人もまた神の民です。
神様は、教会を迫害するパウロをさえ召して、造りかえることがおできになるのです。
パウロを迫害するユダヤ人たちも、きっとつくり変えられるのです。
その後起こったイスラム教にしても、今日ある様々な宗教にあっても、新興宗教にあっても、同じなのです。彼らを好ましくないと思うあまり、宣教をためらわず、勇気をもってローマに向かえと励まされたパウロを思い出したいものです。

とはいえ、囚人の身となって向かう、船旅、ローマへの道でした。私たちが豪華客船で至れり尽くせりで過ごす旅行とは、全く異なるものでした。
しかし神様の御心に従って歩む彼の歩みは、守られているのです。神の御心のうち、「勇気を出せ。エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」との主のお言葉を頂いているパウロは、船旅の途中にどんなことがあろうとも、見事助け出されるのです。

地中海は、夏を過ぎ、秋から、暴風が吹き、冬には全く航海が不可能となっていました。9節にあります「断食日」とは10月の初めごろと思われますが、地中海を幾度も伝道旅行してきたパウロは、危険を察知して、言いました。
「皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大の損失をもたらすことになります。」

まさにこのことは後に起こりつつあることでしたが、指揮権のあるローマの百人隊長は、船長や船主の方を信用し、今停泊しているクレタ島の、もう少し西側に位置するフェニクス港への移動を決めました。これから3ヶ月、冬の間を過ごすのに、そちらの方がよい港と判断したわけです。その距離はわずかで、数時間の間の辛抱だから大丈夫と、たかをくくったわけです。囚人パウロの言うことなど、信用されなかったのです。

ちょうど南風が静かに吹いてきましたので、人々は、望み通りに事が進むと考えて、錨を上げ、今いるクレタ島の岸に沿って西側へと移動し始めました。

しかし、しかしです。間もなく、「エウラキロン」と呼ばれる暴風が、島の方から吹き下ろしてきて、どんどんどんどん、船を島から引き離しました。
陸が見えるところで、エッチラ、オッチラ、カニ歩きをしていた船が、暴風に吹かれると、みるみる目的の場所から引き離され、どんどんと視界から小さくなっていきます。戻ろうと思っても、風に流されるがままで、ついに疲れ切って、風に流されるがままになりました。

大海の中の船は、浮かぶ木の葉のように頼りなく、人の力ではどうすることのできない船は、糸の切れた凧のようなものです。
ひどい暴風の中、水がかぶらぬように、格闘の末、2日目には、積荷を海に捨て始め、3日目には、大きな船具までも、たくさんの人で協力して、海の中にドボーンと、捨てる始末、散々な航海となってしまいました。ほんのそこまで陸地伝いに行くだけなのに。その油断が、大事故となってしまいました。幾日もの間、太陽も星も見えず、ただ黒雲と暴風と、横殴りの雨ばかり。ついには助かる望みは全く消え失せようとしていたと、聖書に書いてあります。
人々は、長い間、格闘のさなかにあり、食事さえ全くとる余裕がありませんでした。
ここでヨナ書であれば、いったい全体どういうことかと、くじを引き始めるのですが、パウロには、神様の御告げが与えられていましたから、人々の前に立って、言いました。

「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。
しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。

 私たちもなかなか、確信から助言しても、聞き入れられないことがあります。パウロもまた、その残念さを語りますが、しかし、元気を出しなさいと語りかけます。船は失っても、誰ひとりとして命を失うものはない、わたしが使え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』

一人の正しい人が、使命を帯びて船に乗っているがゆえに、船全体は助かるのです。創世記の中で、ロトがソドムの町にいた時、10人の正しい人がいれば滅ぼすまいと主は約束されましたが、世界の人々は、正しい人たちによってこの地上が今あるように守られているということを、理解してはいません。パウロは囚われの身でしたが、神によって、一緒に航海しているすべての者は、パウロにまかせられ、与えられているという事実が、今パウロから語られたのでした。

囚われてもなお人々を自分の手中に得ているもの。それが神を信じるクリスチャンの使命です。パウロとシラスが獄中にあっても、賛美と祈りをしていると、獄の人たちがそれを聞いていました。そして地震が起こり、獄の戸がすべて開き、凶悪犯はすべて逃げることが出来たのに、パウロたちのゆえに、逃げませんでした。それを見て、看守がパウロの前にひざをかがめ、救われるにはどうしたらよいですかと尋ねました。

私たちは、囚われ、権力を行使され、つながれているようでも、自由であり、すべての人たちを任され、委ねられているものです。それが私たち、神に先に召された者の使命です。

ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。
わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」

元気を出しなさい。わたしは神を信じています。元気を出しなさい、私は神様を信じているからです。わたしに告げられたことは、その通りになります。私たちは、必ずどこかの島に打ち上げられます。

パウロの語る希望の言葉に、じっと聞き入る百人隊長、兵士たち、そして乗組員たちでした。
長い間、食事もとることもできずにいた人たちに、余裕なく、恐れおののいていた人たちに、希望の光が差し込みました。
わたしは神様を信じています。この事が慰めになり、この事が、元気づける源となります。
私たちの元気づけを必要としている人がいます。私たちでなければ与えることのできない福音があります。私たちもまた、パウロと同じ、遣わされて、今、世の中の人々と一緒に船に乗っているものです。突然吹いてくる嵐があります。望みが全く消え失せようとした状況のある人もいます。その中にあって、「皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、その通りになります。」と語りたいと思います。

陸がだんだん近くなってくると、それを察知した船員たちが、自分たちだけ助かろうと、小舟を浮かべて逃げようとしました。パウロは鷹の目のように、それに気付いて、百人隊長たちに知らせました。

パウロは続いて、語りました。
「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。 だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」 こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。
そこで、一同も元気づいて食事をした。

皆さんのうち、誰ひとりとして命を失う者はいない、あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。だから、心配せず、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。

食べることもできないほどに落ち込み、希望のない人たち。それらの人たちに、神の守りを語り、感謝の祈りともにパンを食べたパウロ。その行動のひとつひとつに、人々は励ましを受け、同じようにして、感謝のうちに、食事をして、一同が元気づいたとあります。

人々は、不安の中にいます。望みが消えうせたところにいます。福音が必要です。慰めが、救いが必要です。神様のことが語られると、感謝の祈りがささげられると、人々は、安堵して、食べ始めます。

神に勇気づけられて、派遣されている人は、必ず、パウロのように、人々を慰める器となります。
第一に、そのような人は、神の御言葉に立って、どんな人に対しても、福音を宣べ伝えるように、召されています。
第二に、そのような人は、その召しによって、多くの人たちを神様から任されます。
第三に、そのような人は、どんなときにも神を信じ、神の導きを信じきっていますから、不安がありません。むしろ、信仰によって、神を知らない人たちをも慰めます。
第4に、そのような人は、神からの判断力で、色々なことを見抜きます。
第5に、そのような人は、人の不安を取り除き、神に目を向けさせ、今すべきことを人々に気付かせます。
こうして人々からの敬意を得たパウロは、船が浅瀬にめり込んで動けなくなり、囚人たちが逃げてしまうから殺しましょうという兵士たちの計画にもかかわらず、百人隊長によって守られ、他の囚人たちも、パウロのおかげで命拾いしました。
主にすがる人は、このようにして、危険から守られます。

主に信頼する人が一人いるだけで、同じ嵐の中にあっても、人々は、不安の中に光を見出し、冷静に振舞い、感謝して食べ、後の泳いでの非難に備えることが出来ました。抜け駆けを封じ込められ、残虐な、囚人殺しが行われず、全員が無事に、陸地に着くことが出来ました。

この世界に、神を恐れる私たちがいますから、神はこの世界を滅ぼされません。むしろ、私たちに任され、私たちの証しに期待して下さっています。
私たちは地の塩、世の光です。

今週も召されて私たちは、出かけていきます。どんなストーリーが待ち構えているかは分かりませんが、「皆さん、元気を出しなさい、わたしは神を信じています」と語り続けていきたいと、願います。

日本アライアンス教団 東城キリスト教会
〒729-5124広島県庄原市東城町東城384
Tel 08477-2-0288 -  メール -

© 2006-2017 Tōjō Kirisuto Kyōkai. All rights reserved.
Site hosted by Jaspella Gospel Guide.