説教原稿
2009年5月31日
「邪悪なこの時代から救われなさい」
使徒言行録2:22-42
主の御名をあがめます。
今日は、ペンテコステの日です。ペンテコステとは、五旬祭とも呼ばれます。これはもともと、大麦の初穂の束をささげる日、もしくは過越の祭りから50日後のお祭りで、収穫の終りを祝うお祭りで、大きなお祭りでした。
新約聖書では、この日は、エルサレムに集まっていた弟子たちに、聖霊が下り、今まで知りもしなかった外国語で話しだした日となったことが分かります。
そして弟子たちのうちに宿った聖霊は、弟子たちを強め、励まし、ここから力強い、世界への伝道が始まって行きました。
この聖霊降臨の出来事が騒ぎを呼びました。
ペンテコステ、五旬祭には、天下のあらゆる国から、信心深いユダヤ人たちが帰ってきていたとあります。これらの訪れていた人たちが、証人となりました。
弟子たちが一同が一つになって集まっていると、突然激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家じゅうに響きました。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、ひとりひとりの上にとどまりました。
すると、一同は聖霊に満たされ、「霊」が語らせるままに、ほかの国々の言葉を話しだしました。
驚いたのは、このユダヤの祭りに来ていた人達でした。騒ぎを聞いて駆けつけると、なんと、ガリラヤ人の集まりだったはずの弟子たちが、祭りに来ていたさまざまの人たちの、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞いたではありませんか。
遠くは、東からペルシャやメソポタミア、ユダヤや小アジア、西はエジプトからリビア、またローマから来ていた者、クレタ島やアラビアから来た、実に多くの人たちがいました。
彼らは、キリストの弟子たちが、それぞれの国の言葉で神様の偉大な御業を語っているのを聞き、たじろぎました。
新しいぶどう酒によっているのではないか。そう言って、あざける者もいました。
そして、ペテロの説教が始まります。
聖霊の力による説教です。人々は心動かされ、この日に3千人が仲間に加わったとあります。
しばしばこのペンテコステ、聖霊降臨の日を、「教会の誕生日」ということがあります。
ユダヤ教の中からキリストと弟子たちが生まれ、そして、ユダヤ教をもしのいで世界的な宗教になっていく、キリスト教の爆発的拡大の原点がここペンテコステの日です。
使徒言行録1章4節と8節には、復活後、天に帰られるイエスさまが最後に弟子たちに残した言葉が記されています。
「エルサレムを離れず、前に私から聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。」
「あなた方の上に聖霊が下ると、あなた方は力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
聖霊が与えられることは、主の約束でした。
そして、その約束の通り、あのような激しい風の音が家じゅうに響き渡り、一同は聖霊に満たされ、外国語で話しだしたのでした。
外国語で話しだしたということは、「地の果てに至るまでキリストの証人となる」ということが実現するための象徴的な出来事でしたが、聖霊に満たされるというこの出来事は、酒に酔っているのだとあざける人々に対して、イエス・キリストとは一体どういう方だったのかということをはっきりと証しして語るペテロの説教として、続いてあらわされていきます。
聖霊が与えられると、聖霊は、イエスキリストの証しへと、人を向かわせます。
外国語で話していたその内容が何であったかを思い出しましょう。それは、「神の偉大な業」についてでした。神の偉大な業とは、何でしょうか。それは、父なる神が、私たちを罪から救い出すため、御子キリストを十字架にお付けになり、御子は三日目によみがえられたということです。
「愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。偽預言者が大勢世に出て来ているからです。イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません。これは、反キリストの霊です。」1ヨハネ4:1-3
聖霊が与えられるということ、それは、何に向かっていくのかといえば、イエス・キリストの証しであります。私たちの証しの生活、証しの語り方を今日ペテロから学んでまいりましょう。
ペテロはイスラエルの人たちに注意深く話しかけます。
「これから話すことを聞いてください。」
私たちも、聖霊により、世界の人たちに聞いてほしい話があるのではないでしょうか。
「ナザレ人のイエスこそ、神から遣わされた方です。」
「イエスこそ、神から遣わされた方。」
イエスさまこそ、神様の喜ぶ使者、私たちの世界に、と聞いたって送られた、神様から遣わされた方です。
私たちの所にもしも、日本国の総理大臣から丁寧に、直筆の手紙が届いたら、どんなにかほかの手紙を放っておいて、注意深くそれを読むことでしょう。もっといえば、直々に、使者を送って、お話をしましょうと言われたら、どんなにか緊張し、その語ることを一言一句聞き逃さないようにと、耳をそばだてることでしょうか。
しかしここに、一国の指導者をはるかにしのぐ使者が来られたのです。それが父なる神様がお遣わしになられた御子、イエス・キリストです。世界中の人たちは、この方の周りに集まって、耳をそばだてて、そのお話を一言一句聞き逃さず、その立ち居振る舞いを心に焼き付けるべきではないでしょうか。
「神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。」
総理大臣の使いであれば、日本国の紋章を帯びているでしょう。それでは神に遣わされた方は、どんな証明をもってこられたのでしょうか。
それは、イエスさまが行われた奇跡、不思議な業、しるしでありました。
目の見えないことが見えるようになり、背中の曲がった人が真っすぐになり、泡を吹いて転げている子供を癒してくださり、死んでいた子供たちを立ち上がらせました。わずかの食べ物から、群衆を養われました。
「あなたがた自身が既に知っているとおりです。」
自分の目で見たではありませんか。ペテロはそう語ります。イエスさまの奇跡は、弟子たちの作り話ではなく、その時生きていた人たちの多くが目撃していた事実であるということを確認しておきましょう。
「このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。」
神様はユダヤ人たちが、律法を知らない者たち、すなわちピラトなどローマ人の手を借りてイエスさまを十字架につけて殺してしまうだろうことを、あらかじめ予知しておられました。そして人々はその通り、イエスさまを殺しました。
「しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。」
しかし父なる神は、イエスさまを死の苦しみから解放し、復活させられました。何一つ罪を犯されなかった神の子イエスさま、神ご自身であるイエスさまが死に支配されたままでおられるということは、あり得ないことでした。
キリストは、よみがえられました。このことも、この時代の人はすでに知っていました。
32節、「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。」
屈強な番兵たちが見守る墓の所で、大きな地震が起こって主の天使が天から下って近寄り、石をわきに転がし、その上に座ったさまがマタイによる福音書に記されています。番兵たちは恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになったと書いてあります。番兵たちはこの様子を祭司長たちに報告しました。祭司長と長老たちは、番兵たちに多額の金を渡し、弟子たちが夜中にやってきて、番兵が寝ている間に死体を盗んでいったということにしました。しかし、番兵は命がけで職務をするもの。そんな居眠りの間に盗まれたということがあるはずもありません。このでっち上げのうわさは、たちまちユダヤ人の間に広がりました。
33節、「それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。」
イエスさまは確かに復活なさり、弟子たちにまた現れ、40日後に天に昇られました。そしてそのときの約束の通り、イエスさまは聖霊を注いでくださり、それはいま群衆が見ている通りであるとペテロは言いました。
この聖霊は、神様の約束に基づくことである。私たちは、イエスさまが父の身許に帰られるときに、もうすでに聖霊が注がれることを知らされていましたと、ペテロは語ります。
そして事柄は、その通りになりました。この聖霊降臨の出来事により、人間の考えでは理解できないことが起こりました。弟子たちが外国語を話し、ペテロが、今までの劣勢を逆転して、人々の心をえぐる、イエスさまを証しする説教を始めたのです。
36節、「だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」
さあこの聖霊降臨の出来事により、はっきりと知りなさい。あなた方が十字架につけて殺したイエスさまこそが、神様がキリスト、救い主メシア、主ご自身とされた方なのです。
だからこそ、主が父の身許に帰られて、約束の通りに今日、あなた方皆が見ている前で聖霊が注がれたのですと、ペテロは語ります。天に帰られ、今日、聖霊を注いでくださった主キリストを、あなた方は十字架につけたのです!ペテロは、ユダヤ人の群衆を前に、恐れることなく、罪をはっきりと語りました。
わたしたちが知るべき大切なこと、それは、神様がご自分の使いとしてイエスさまを送られたこと、そして人々はイエスさまをそのような方として受け入れずに、十字架にかけて殺してしまったということです。いまも、イエスさまを神様からのメシアと信じないならば、それは昔のユダヤ人と同じ、イエスさまを十字架につける企てに賛成する人たちと一緒であると言うことができます。
しかし、人々が葬り去ったイエスさまこそが、約束の通り今日、聖霊を送ってくださった救い主、主ご自身であったということ、それは、このときの騒ぎを見ていた人たちには、もはや言い逃れのできない事実でした。
37節、「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。」
神様が私たちに送ってくださった使いを無視するということ、そしてその方に心も止めずに、最後的には、十字架に殺してしまうということ、これが人の神に対する傲慢です。これが人の罪であります。「人がおのおの自分勝手な道に歩み」神様の使いであるキリストに目を留めないこと、これがイエスさまを十字架につけるということに他なりません。
そのイエスさまが、どこか遠くで一生懸命に話しておられ、自分はその声を聞くことができなくて、無視してしまったというのならともかく、イエスさまは、ユダヤ人たちといつもともにおられ、不思議な業をいつも行っておられたのでした。そのイエスさまを認めることができず、嫉妬と恨みとの思いに駆られて殺してしまったとあれば、人の罪は明白であります。
まさに自分の手にかけて殺してしまったこと。そして今日、その方が真のメシア、救い主であるということに気付いたユダヤ人は、心を打たれ、「私たちはどうしたらいいのでしょうか」と尋ねるのみでした。
神の敵となったものが、神の赦しを得ることができるのだろうか。ただ滅びて行くよりほかはないのだろうか。ユダヤ人たちに重苦しい空気が広がりました。
38節、「すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」
悔い改めなさい。悔い改めとは、心の思いを180度転換するということです。今まではキリストを認めず、信じてもいなかった。しかし今は、その思いを180度ひっくり返して、信じます。これが悔い改めです。間違っていたと気付いたら、気づいたときに、心を入れ替えればそれでいいのです。イエス・キリストの名。それは赦しの御名です。その主の御名により、洗礼のより洗い清めをいただき、罪を赦していただきなさい。そうすれば賜物として聖霊を受けます。
人は立派な行いによって罪赦されるのではなく、罪を悔い改め、赦してくださるイエス・キリストの御名によって洗礼を受けるときに、罪が赦されます。そして、一方的なプレゼントとして、聖霊が与えられます。
「邪悪なこの時代から救われなさい。」
ペテロは、おごそかに、宣言しました。
「この邪悪な時代」
それは、イエスさまを神のもとから来た使いと信じないで、自分の考えを優先し、主の様々な奇跡の御業に目もくれずに、主キリストを無視し続ける歩みのことです。
イエスさまは、確かにこの地上に送られました。聖書の数多い不思議なイエスさまの御業は、イエスさまが神様のもとから送られてきたことの証明です。
しかし人間は、最も大切な、最も高貴なこの神様からの使いを拒絶し、無視し、挙句の果てには十字架にかけて葬りました。
2000年がたった今でも、聖書により、はっきりと、メシア、救い主がこの地上に来られ、今日の個所により、「邪悪なこの時代から救われなさい」、「悔い改め、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。賜物として聖霊を受けなさい」と語られています。
邪悪なこの時代から贖いだされ、きよい神の霊により聖く分かたれ、神の民として歩む、こういう方々が、今の時代から起こされますようにと、願ってやみません。
「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。」
昨日も今日も、福音は変わりません。 そして、主を退けるという、時代の邪悪さも変わりません。しかし賜物として聖霊を受け、神様が聖霊によってともにおられ、力強くおごそかに証しをさせていただくとき、おおくの魂が救われるということもまた、変わらない事実です。
42節、「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」 聖書の教え、教会の交わり、聖餐にあずかり、祈ること、昔も今も変わらぬ私たちの教会生活の中に、私たちもまたペテロのように心を打つ証し人として働かせてくださいと、この時代を前にして切に願います。
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