Warning: Undefined array key "HTTPS" in /home/tojokyokai/public_html/includes/head.html on line 16

説教原稿

2008年11月9日
「欲ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生む」
創世記 27章5-20、30-45節

クリスマスが1週また1週と近付いております。
ここ東城では地元のお祭りが賑やかに、楽しく行われました。続いて教会の講演会が、そしてクリスマスが、皆さんの知られるところとなりますようにと祈っております。

先週は、敵の妨害に遭い、次から次から井戸を埋められても、尚も尚も、新しい井戸を掘り続けるイサクの姿を見ました。神様の祝福のうち、妨害をはねのけるイサクに、敵方もすっかり参って、「主があなたとともにおられることが分かりました」と言い、敵方から和解を申し込んできました。
私たちもまた、忍耐あるのみ、戦いを好まず、主が盾となって下さると覚えて歩んでいきたいと思います。
イエス様がののしられても、鞭打たれても、まっすぐに主の道を進まれたことを思い出します。絶体絶命、死に引き渡され、墓の中、しかしそこから逆転ホームランです。私たちも、あせらず、神様の時を待ちたいと思います。

今日のお話は、待ち切れなかった話と言いますか、騙し騙される、家督争いのお話です。

よく、「うそつきは泥棒の始まり」と言いますが、あれはどういう意味かとずっと思っていました。どこかで、「ウソも泥棒も、根っこは同じである」という話を聞きました。今日のお話は、泥棒するためにウソをついています。「おれおれ詐欺」にしましても、巧みに騙し、嘘をつきます。やはり、根は一緒かなと思います。

イサクは年をとり、目がかすんで見えなくなってきました。
いつ死ぬか分からないと悟り、最後に息子エサウの取ってきた肉を料理してもらい、それを食べて、祝福を長男に譲り、そうして死のうと思いました。

豆の煮物と引き換えに、長子の権利を譲ってしまったということを知らないのは、お父さん・イサクだけだったのでしょうか。

イサクがエサウを呼び、「さあ、獲物を取っておいしい料理にしておくれ、食べて、自分の祝福をお前に与えたい」と話している声を、母リベカは聞いていました。そうはさせるものか。母リベカは、ヤコブを呼び、先手を打つようにと指示します。

「あなたが兄エサウに化けて、出し抜きなさい。」
「ええー、そんなこと、もしもばれたらどうするんですか。祝福どころかかえって呪いを受けてしまいます。」
「いいからいいから、呪いなら私が引き受けるから。」

母にそそのかされるように。ヤコブはびっくりしてやりたくないようです。
しかし背中を押す母。
よもやあの豆のスープも母の差し金かと、いよいよ思えてきます。

母は料理を作り、そしてしまってあったエサウの晴れ着をヤコブに着せ、子ヤギの毛皮をつるつるのヤコブの肌にかけ、毛深いエサウに似せました。

ヤコブは、料理を持って、父のもとへ行き、「わたしのお父さん」と呼びかけました。

「ここだよ、誰だ、お前は。」
目がかすんだイサクは姿を見ることが出来ません。しかし声がどうもエサウと違うし、さっき獲物を取ってきておくれと言ってから、いくらなんでも早すぎる。どうも不審に思ったのでした。

「誰だ、お前は」

ヤコブはこの時、どう思ったでしょう。
全身の血が凍りついたのではないでしょうか。
母に言われ、こんな偽装を。しかし土台無理だったのでは。いくら真似をしても、声で分かってしまうではないか。
しかし始めたからには失敗はできない。ヤコブもまた、嘘をつきとおします。

「誰だ、お前は」-「長男のエサウです。お父さんの言われたとおりにしてきました。さあ、どうぞ起きて、座ってわたしの獲物を召し上がり、お父さん自身の祝福をわたしに与えてください。」

「わたしの子よ、どうしてまた、こんなに早くしとめられたのか」
「あなたの神、主がわたしのために計らってくださったからです。」

芝居のために、嘘のために、主の名も語るほどのヤコブでありました。
しかし皮肉なことに、「主がわたしのために計らってくださったからです。」という言葉は、いかにもヤコブのもので、エサウのものらしくありません。豆のスープで長子の権利を与え、そして結婚に関しても、父イサクのように生まれ故郷の人をめとらず、現地の人を、それも二人も、妻としていました。非信仰的なエサウ。それゆえに、家のことを思い、母リベカは一計を案じたのでしょうか。
しかし、嘘のために、またウソをつく。嘘は雪だるま式に増えていきます。人の罪とは、そういうものではないでしょうか。そんな連鎖を断ち切るために、罪を根こそぎ引き受けて下さったのが、私たちの主、イエス・キリストです。

イサクは、エサウにふんしたヤコブを引き寄せ、腕を触り、毛深いのを触りました。イサクは見破ることが出来ませんでした。

イサクは、「お前は本当にわたしの子エサウなのだな。」と言いました。

この問いに、ヤコブの気持ちは揺れなかったでしょうか。
「お前は本当にわたしの子エサウなのだな。」
自分の父が問うその声。
族長として、父として。長い歩みを共に歩いてきたお父さん。その父を裏切ってまで、兄を出し抜いてまで、手に入れるべきものだったのでしょうか。

エサウは確かに、権利も売り、また行状もふさわしくなかったかもしれません。しかしだからと言って、目のかすんだ父をここまでだまして祝福を得るというのも、いかがでしょうか。

神様の命令を守らず、殺人を犯し、高い塔を建て、妻を妹と偽り、母と二男は共謀して族長を騙す。
聖書は実に人間絵巻だなあと思わされます。

しかし神様の系図はそのただ中を進んでいきます。
神様は、その欠けだらけの、箸にも棒にもかからないようなご自身の民を用いて、世界のための祝福を取り次ぐようにと、願っておられます。そしてそのおぼつかない民のためにも、世界の民のためにも、イエス・キリストを与えて下さったのです。

父イサクは言いました。
「わたしの子よ、近寄ってわたしに口づけをしなさい。」
ヤコブは近寄って口付けをすると、エサウの服からエサウの匂いがしました。

偽りの口づけ。イスカリオテのユダを思い出します。
しかし主が、「友よ」と彼に呼び掛けて下さったのは、真実でした。(マタイ26:50)
罪びとへの主のご熱心。主のご忍耐。私たちは、この主の愛を知り、七転び八起き、主の血潮で汚れを洗っていただき、進むほかはありません。
ついにイサクは、ヤコブを祝福してしまいます。

そこに何も知らずに帰ってきたのが、兄エサウ。
「お前は誰なのか」と父。
「わたしです。あなたの息子、長男のエサウです」

イサクは体を震わせて、それではさっき来たのは誰だというのかと、叫びました。
エサウもまた、悲痛な叫びをあげて激しく泣きました。

その打ちひしがれた悲しみは、やがて込み上げる怒りへと、変わっていきました。
「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる。」
そう心の中で言うエサウでした。

父の前だから心の中で言うにとどめていたのでしょう、しかし父の前を離れると、マグマが噴き出すように呪いの言葉が出ていたのでしょう、人づてに、母リベカは、エサウがヤコブを殺して恨みを晴らそうとしているらしいという情報を聞きつけました。

家を守ろうとしたこと、自分が弟ヤコブを偏愛してきたこと、自分が策を弄したこと、それらが今、悲劇的な結末を迎えようとしていることをとっさに感じた母でした。

リベカはヤコブを呼びました。
「大変です。エサウ兄さんがお前を殺して恨みを晴らそうとしています。
わたしの子よ。今、わたしの言うことをよく聞き、急いでハランに、わたしの兄ラバンの所へ逃げて行きなさい。 そして、お兄さんの怒りが治まるまで、しばらく伯父さんの所に置いてもらいなさい。そのうちに、お兄さんの憤りも治まり、お前のしたことを忘れてくれるだろうから、そのときには人をやってお前を呼び戻します。一日のうちにお前たち二人を失うことなど、どうしてできましょう。」

一日のうちに二人を失う。 ヤコブは殺され、殺したエサウもまた殺人犯として殺されるということでしょうか。そうなれば家は破滅してしまいます。

リベカは頭脳を回転させます。兄エサウのように現地の人をめとらせるのでなく、ヤコブにはアブラハムの生まれ故郷、自分の生まれ故郷から妻をめとらせよう。こう提案すれば、夫もゆるすだろう。そして遠くへ一時逃れれば、エサウもかたき討ちが出来まい。
この作戦は、うまく行きました。夫イサクも同意し、ヤコブは兄の怒りを逃れるため、遠くへ出かけます。
しかしこの嫁取りがどんなに大変なものとなり、リベカはヤコブがこれから20年余りも故郷を離れることになろうとは、そしてこの瞬間がリベカが生きてヤコブを見る最後になろうとは、全く予想していなかったことでしょう。

私利私欲というものがはらんで罪を産み、罪が熟すると、死を生み出すということを、今日の出来事は、教えています。

ヤコブは祝福を得ながらも、自分の群れに戻り、族長となるまでに、余りに長くつらい歩みが待っています。そしてその後、自分の子供を得てもなお、苦労の連続です。しかしそのような中、人が欲と罪の中、黒い色の織物を紡ごうとも、神様は、一本の救いの道を、脱出の道を、常に用意し続けていて下さるのです。こうして京、私たちにも救いの道は与えられ、私たちに続く人たちにも、神様は救いを用意して下さっておられます。

担い手である私たちもまた罪を犯し、混乱を招きます。しかしその都度そのつど立ち返って、神様に方向転換して、新しく主に向き直って歩んでいくことが求められています。

忍耐強く井戸を掘りなおすように、私たちに向き合って下さる主を見上げながら、今週の旅路を進んでまいりましょう。

日本アライアンス教団 東城キリスト教会
〒729-5124広島県庄原市東城町東城384
Tel 08477-2-0288 -  メール -

© 2006-2025 Tōjō Kirisuto Kyōkai. All rights reserved.
Site hosted by Jaspella Gospel Guide.