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説教原稿

2008年10月19日
「しもべがまだ祈り終わらないうちに」
創世記 24章11-26、49-52節

恵みの秋まっただ中です。

今日も天地創造の神様の御名を心からあがめます。

稲の刈り取り、栗、柿、りんご、梨、ぶどう、あけび、空は秋晴れ日本晴れ。虫の音色とともに秋の夜長。木々は紅葉。
自然をお作りくださいました神様の御名をほめたたえます。

今日のテーマは、祈りですが、同時に、信仰者の成熟というテーマも扱いたいと思っております。

植物は成熟し、身を実らせます。信仰者は成熟すると、何を実らせるのでしょうか。

「主はぶどうの木」というゴスペルソングといいますか、ワーシップソングがあります。
ヨハネ福音書15章の有名な御言葉、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」を歌にしたものですが私が大好きな賛美です。

「主はぶどうの木、わたしは枝です、いつも離れずに、
  主はぶどうの木、わたしは枝です、豊かな実を結ぶ。
  みことばに したがい、 あいに 生きるなら
  この世は 知るでしょう、 主のすくいといやし。
  主はぶどうの木、わたしは枝です、豊かな実を結ぶ。」

私は20代、教会の青年会で、数限りなくこの賛美を歌って育ってまいりました。

み言葉の糧を私たちは食べ続け、イエス様につながって木の幹から栄養分をいただきます。その営みは、枝の能動的な働きというよりもむしろ、幹が養分を運んでくれるという、受動的なものでありましょう。
神様によってつながれ、守られ、必要なものをいつも供給していただき、枝は時至って実を実らせます。枝の努力というよりは、枝が枝として健全であれば、実を実らせるということは、自然の結果であります。

私たちが枝として身を実らせること、それは、私たちの日常的な、間断ない、主なる神様の接触の結果であります。主を信じる毎日の、積み重ねによる、自然な結果です。エイヤっと、頑張って身を実らせるわけではありません。私は小学生の時、8月の終わりが憂鬱でした。最近学童クラブにお邪魔するようになってあの心境を思い出しました。遊ぶだけ遊んで、宿題をため込んで、8月の終わりはまさに、地獄そのものでした。真っ白な日記帳を埋め、絵をかいて、自由研究をして…、自堕落そのものです。
クリスチャンの証しと言いますか、奉仕というものも、もしもそのようなものと考えていらっしゃる方がありましたら、何か立派なことをエイヤっと、ヨッコラショっと、捧げなければならないとお思いでしたら、先ほどのぶどうの木のお話を思い出していただきたいと思います。

私たちが実を実らせること、それは、私たちが生活する中において、何かにぶつかったり、何かを強く願ったりして、祈り、御言葉を求め、そして導かれて感謝する。み言葉、祈り、賛美、こんな生活の積み重ねの中にあるのではないでしょうか。

十字架の上で両手を開いてすべてを私たちのために捧げつくして下さったイエス様のお姿。私たちの食べ物また飲み物として、天から降られ、ご自分のすべてを投げ打って与えて下さったそのお姿は、実って口を開けるあけびのようですね。私たちもまた、目標、ゴールは、イエス・キリストの身丈にまで成長することです。幹と枝が同じ体であるように、私たちもまた、神様と同じ体、神様と同じ体質、神様と同じ性質に造りかえられつつあります。
そして成長し、実らせる実をたわわに差し出すときに、その恵みと会い、いやしの力は、世の中にかぐわしい香りとともに喜び、命となって示されるでしょう。

今日は創世記23-24章が開かれておりますが、特に24章から、アブラハムの円熟したしもべが、祈りとともに彼の使命を見事果たした出来事を追ってまいりましょう。

23章。
127年の生涯を終え、アブラハムの妻サラは、死にました。アブラハムは、神様がアブラハムの子孫に土地を与えるからというお約束に従って、カナンの地に出てきました。彼はカナンの土地を行き来しつつ、異教の土地で証しを建てたり、失敗したりしつつ、信仰に生きる歩みを続けていました。
一人息子イサクを捧げてもなお、神様はわが子を生かして下さる。彼の信仰は高められていきました。
創世記22:16-18
「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」

信仰に生きる義人は生きるというモデルを示してくれたアブラハムでした。

晴れでも雨でも嵐でも槍でも信じる。太陽が西から上って来ても変わらない神様を信じる。この単純なようなことがいかに時に難しいことでしょうか。アブラハムは妻を2度も妹であると言い、身の危険を逃れようとしました。しかし結局は神様によりすがって生きることは幸いであることを、アブラハムを学び続けました。

24章1節、「アブラハムは多くの日を重ね老人になり、主は何事においてもアブラハムに祝福をお与えになっていた。」主は何事においてもアブラハムに祝福をお与えになっていた。神様と二人三脚。心揺るがないアブラハムの信仰を見ます。
詩篇1篇冒頭の言葉を思い出します。
「いかに幸いなことか…主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。
その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」

妻サラが死に、息子イサクもまた、悲しみに打ちひしがれていました。サラの墓となる洞穴を買い、次なるアブラハムの仕事は、息子イサクの嫁さがしでした。

アブラハムは彼のもっとも信頼する、全財産を任せる年寄りのしもべ。彼もまた、アブラハムと同じく、円熟した信仰者でありました。

アブラハムは、異教の地カナンの娘でなく、自分の故郷の、一族から娘を見つけよ、そして息子イサクをその土地に結婚のために出向かせるのではなく、その土地を離れて嫁いでくれる娘を探してほしいと頼み、天の神、地の神である主に誓ってほしいと頼みます。

メソポタミア地方。片道20日の旅。かつて主によって出発しなさいとの言葉を頂いた土地、アブラハムの兄弟ナホルの住む土地へと出かけていきました。

らくだ10頭、主人から預かった高価な贈り物を多く携え、町はずれの井戸の傍らに着きました。

この町こそ主人アブラハムの故郷の町。この町の中からイサク様にふさわしい女性を神様、与えて下さい。
首を垂れるしもべでした。
こう祈りつつも、皆さんはこのしもべだったら、どうやって多くの娘たちの中からこの人と選び出すでしょうか。
泉に来る女性たち。どの娘もアブラハムの故郷の娘。
しもべはこのように祈りました。
12-14節
「主人アブラハムの神、主よ。どうか、今日、わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。わたしは今、御覧のように、泉の傍らに立っています。この町に住む人の娘たちが水をくみに来たとき、その一人に、『どうか、水がめを傾けて、飲ませてください』と頼んでみます。その娘が、『どうぞ、お飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう』と答えれば、彼女こそ、あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください。そのことによってわたしは、あなたが主人に慈しみを示されたのを知るでしょう。」

「わたしは今、御覧のように、泉の傍らに立っています。」
生ける神様に、語りかけるような祈りです。彼の生き生きとした信仰、親しい主への呼びかけです。
あなた様は今ご覧になっていらっしゃいます。私とともにいらっしゃいます。
この信仰です。
神様に電話をかけるような。話しかけるような。 空を打つような願い事でなく、神様、お聞き下さい。ご覧ください。私はここに、この状況におります。どうかご覧になって、私を導いて下さい。 よしよし、導いてあげようと、神様に言っていただくような祈りではないでしょうか。

私たちも、様々の問題を抱える時、一人で行き詰まって、神様はどうして助けて下さらないと思う前に、神様、私はここにおります。ご覧の通りです。どうかあなた様が導いて下さい。こう静かに祈るとき、平安が訪れるのではないでしょうか。神様はいつも私をご覧になり、そしてあなたは導くことがお出来になる。あなたはここにおられ、そしてこの状況を切り開くことがお出来になる。すでにこの祈りは、二つの信仰による確信から始まっています。
苦しい時、祈ることもできない時があります。しかし、主よと、心を主に向け始める時、何かが始まっていきます。

しもべは続けて、水がめを傾けて飲ませて下さいと言いますから、さあどうぞと飲ませてくれ、そしてらくだにも水を飲ませてくれる優しく気の利いた女性、見ず知らずの人間にも、惜しみない助けを注いでくれる女性を示して下さいと祈ります。

しもべのその祈りが終わらないうちに、リベカがやってきました。
しもべは祈りのうち、確信を得たのでしょう、祈りは、あてもないトンネルの中でも不思議とすでに道を得たりとの確信を与えさせるものです。
主が私の目となって下さるのなら、私は確信をもって暗闇の中でも大胆に歩みを進めよう。そのように弱った人を固く立たせる力を与えるのが祈りの結果です。

しもべは駆け寄り、女性に語りかけました。女性は祈った通りの女性でした。ここに、神様のお導きがあることは、言うまでもありません。そして彼女は、まぎれもなくアブラハムの兄弟ナホルの息子べとエルの娘でした。

らくだ10頭がどれくらい水を飲むでしょうか。700リットルくらいでしょうか。おふろの湯船にして3―4杯分くらいではないでしょうか。
小一時間もかかる重労働。しかし、年老いた子の旅人にそれをさせるのはかわいそう。さぞお疲れでしょう。私は若いですから、どうぞご遠慮なく。さあ、そこに座っていて下さい。
リベカは、美しく、優しく、強い女性だったようです。
「彼女は、「らくだにも水をくんで来て、たっぷり飲ませてあげましょう」と言いながら、
すぐにかめの水を水槽に空け、また水をくみに井戸に走って行った。こうして、彼女はすべてのらくだに水をくんでやった。」

 走って水をくむリベカ。
「その間、僕は主がこの旅の目的をかなえてくださるかどうかを知ろうとして、黙って彼女を見つめていた。」とあります。

「らくだが水を飲み終わると、彼は重さ一ベカの金の鼻輪一つと十シェケルの金の腕輪二つを取り出しながら、
「あなたは、どなたの娘さんですか。教えてください。お父さまの家にはわたしどもが泊めていただける場所があるでしょうか」と尋ねた。
すると彼女は、「わたしは、ナホルとその妻ミルカの子ベトエルの娘です」と答え、
更に続けて、「わたしどもの所にはわらも餌もたくさんあります。お泊まりになる場所もございます」と言った。
彼はひざまずいて主を伏し拝み、
「主人アブラハムの神、主はたたえられますように。主の慈しみとまことはわたしの主人を離れず、主はわたしの旅路を導き、主人の一族の家にたどりつかせてくださいました」と祈った。

主は祈りを聞き、確かにアブラハムの一族の娘に会わせて下さった。しもべは、生ける神様のお導きをしってその場にひれ伏し、祈りました。
リベカはこの様子を見て、自分の家へと走っていきました。

同じ主への信仰を持たれる方が遠くから訪ねて来られた。高価な鼻輪と腕輪を見て、特別なお客さまだと分かり、リベカの兄ラバンも泉の所に走っていきました。

しもべは、自分の主人アブラハムの紹介をし、自分がどういう経緯で旅をし、どういう祈りをし、そして娘リベカに出会ったかを話しました。

「わたしはひざまずいて主を伏し拝み、主人アブラハムの神、主をほめたたえました。主は、主人の子息のために、ほかならぬ主人の一族のお嬢さまを迎えることができるように、わたしの旅路をまことをもって導いてくださいました。
あなたがたが、今、わたしの主人に慈しみとまことを示してくださるおつもりならば、そうおっしゃってください。そうでなければ、そうとおっしゃってください。それによって、わたしは進退を決めたいと存じます。」

遠くから突然やってきた使いのしもべ。しかし祈りに祈って与えられた導き。

不思議なことです。神の見えざる手です。神様は今日も、不思議なお導きによって、ご自身の御業を成し遂げられます。

ラバンとべトエルは答えました。
「このことは主の御意志ですから、わたしどもが善し悪しを申すことはできません。
リベカはここにおります。どうぞお連れください。主がお決めになったとおり、御主人の御子息の妻になさってください。」
アブラハムの僕はこの言葉を聞くと、地に伏して主を拝した。

次の朝、しもべは早速出発したいと言います。リベカの家族は、もう10日ほど嫁ぐ準備をさせて下さいと言いました。リベカの家族は、本人さえそのつもりなら、すぐにでも行かせましょうと答えました。リベカは、行きますと、言いました。

ちょうどアブラハムが行き先を知らずにカナンへの道をたどったように。リベカもまた、生まれ故郷の町を離れ、親兄弟と離れ、一人旅立ちました。これもまた、信仰の歩みであります。

リベカの父と兄は、リベカに対し、言いました。
「わたしたちの妹よ/あなたが幾千万の民となるように。あなたの子孫が敵の門を勝ち取るように。」
信仰をもってイサクをささげたアブラハムに対して語りかけられた主の言葉に、似ています。

「イサクは、リベカを愛して、亡くなった母に代わる慰めを得た。」
この言葉をもってこの章は閉じられます。

信仰によって派遣され、信仰によって祈り、信仰によって受け入れられ、信仰によって出発したリベカ。
祈りから始まり、神様によって導かれる歩みは、いつも祝福に充ち溢れています。

私たちの日々の歩みも、祈りから始まり、賛美し、続けられる毎日でありますように。神様の使命を果たし、主の手のまにまに運ばれる日々でありますようにと、お祈りいたします。

[新共同訳] フィリピの信徒への手紙
4:4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。
4:5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。
4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。

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