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説教原稿

2008年7月27日
「主のために祭壇を築いた」
創世記 13章14-18節

また、創世記に戻ってまいりました。
前回は、アブラハム契約と、エジプトでの騒動の記事でした。
神様は、アブラハムを大いなる国民にし、祝福し、名を高め、祝福の源として下さいました。地上の氏族はすべて、アブラハムによって祝福されると神様は語られました。
1ペテロ2:9を見ますと、私たちもまた、このアブラハム契約の子であることが分かります。
「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」
2:10 あなたがたは、/「かつては神の民ではなかったが、/今は神の民であり、/憐れみを受けなかったが、/今は憐れみを受けている」のです。

神様がまず見出して下さったことへの感謝と、神様が私たちを世界の救いのために用いて下さることを信じて、今週も歩んでまいりましょう。

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」ヨハネ15:16

飢饉に襲われたアブラハム一行でありました。私の示す地に、カナンに行きなさいと神様のお言葉でしたが、やむなくエジプトに下っていきました。
ファラオの家臣たちは、サライを見るや、美しい女性が来たと王に伝えて、王に対して点数稼ぎをしようとしました。すぐに王ファラオからの召しがありました。
しかし、これらの出来事は皆、アブラムの想定範囲内のことでした。アブラムは、あらかじめ、妻サライに、自分の妹を名乗ってくれと頼んでありました。
サライのゆえに、アブラムは、羊、牛、ろば、らくだ、男女の奴隷など、多くの者が与えられました。

混乱の始まりでした。

「あなたを祝福する人を私は祝福し、あなたを呪うものを私は呪う。」神様の力強いお守りの約束でした。
アブラムがどれだけ真剣にこの神様のお約束を胸に抱いていたのでしょうか。彼は、大国エジプトのきらびやかさに目を奪われ、異教の雰囲気にすっかり飲み込まれてしまっていました。何か出エジプト記のモーセの始めの時の弱腰な姿を思い出します。

しかし次々と襲いかかるエジプトへの呪い。アブラムはとうとう、王様ファラオに、実はサライはわたしの妻で、この災害は、私の妻をあなたが召しかかえたことによって、私の神様がなされているものですと告げました。
ファラオはアブラムの神を恐れ、サライを返し、先にアブラムに与えた者をそっくりそのまま持たせ、国を去るように頼みました。

これはヨナ書さながらの光景です。ヨナは、神様の命を拒んで、行きなさいと言われた地・ニネベと反対の方向へ行く船に乗り込みました。しかし船は大あらしに見舞われます。船に乗っていた異邦人たちは、何が原因かとくじを引き始めます。原因がヨナとわかってわけを聞くと、ヨナは話し始めます。自分が神様の命令に背いて、船に乗ったせいです…と。異邦人たちは、何ということをしたのかと驚きます。預言者が、異邦の民から神信仰を促されるような、滑稽な展開です。ヨナは、海が鎮まるためには私を、手足を縛って海に投げ入れなさいと言いました。しかしそんなことをしたらしんでしまうと、躊躇する彼ら。親切で善意も、信仰心もある異邦人たちの姿が描かれています。

エジプトで迷惑をかけ、不思議と財産持ちとなってまた旅をするアブラハム一行でした。
彼は、いざという時にお働き下さる神様のお姿をまじまじと経験したのではないでしょうか。自分の知恵・策略におぼれ、エジプトの地で自らの信じる神様の顔に泥を塗ってしまったと感じていたかもしれません。

アブラムは、神様を信じる新しい心で、またカナンの地に上っていきました。
ネゲブから、ベテル、そして、ベテルとアイとの間。そこは、彼が、エジプトに下る前に、祭壇を築いて、主の名を呼んだ場所でした。

あの時には、新鮮な気持ちで、ここカナンまで長旅を守って下さって感謝しますと、祭壇を築いたのに。神様は、「あなたの子孫にこの土地を与える。」と約束して下さったのに。私はこの地を離れ、エジプトの地で主を見失ってしまった。これからは、神様一本で歩んでいきます。このような新たな気持ちで、アブラムは、かつての土地で、新たに主の名を呼び、礼拝したのではないでしょうか。

私たちもまた、生ける神様にただ信頼していけばどんな困難も恐れるには値しないと、頭では分かっていても、思いは乱れ、平安をなくし、いつも最善に導いて下さる神様を見失ってしまいがちです。神様は、色々なチャンスとして、信仰を引き上げる機会として、あんなこと、こんなことをご計画して下さるのです。それが困難であっても、大きな損害であったとしても、神様は、それを教育の範囲内でご利用なさっているのです。
私は以前、ロサンゼルスに行きました時、ユニバーサルスタジオという所に行きました。今は、大阪にもそれがありますが、映画のセットの中を乗り物で次々と遊覧するというパビリオンがありました。
海のセットの上を通っていますと、突然サメのひれが現れ、こちらに向かって大きな口をあけて襲いかかってきました。水しぶきが上がり、客席にもかかりました。次にスターウォーズに出てくるロボットたちがレーザーの出る剣で戦っていました。そうしているうちに、突然火が燃え上がり、どんどん勢いが増し、客席からも火の熱さが伝わってくるほどでした。
私たちは、水しぶきやサメ、燃え盛る炎を前にしても、これはそういう体験ツアーだから大丈夫だと、内心驚きながらでも、平静に座っていることができます。
イエス様がいつもともにいて下さるというのも、ちょうどそれに似ています。
ガリラヤ湖を行くとき。イエス様はお疲れが出て、船尾のほうで、ぐっすりと熟睡なさっていました。
しかし、突然の大あらしが襲ってきました。激しい波風。風はいつおさまるともしれず、波は猛るだけ猛っています。
弟子たちの中には漁師だったものがたくさんいましたから、初めは水をかき出したり、船が転覆しないようにバランスを取ったりしていましたが、ついにくたくたになってしまいました。しかし一向に収まる気配のない波風。もはやこれまでかと思い始めた時、ふとイエス様を見ると、イエス様はぐうぐうと寝ておられます。弟子たちがイエス様を薄情者のように責め立てて、眠りから覚ますと、イエス様は立ちあがり、威厳のある声で波と風をしかり、大自然はこれに聞き従いました。弟子たちは、風や波を従わせるとは、いったいこの方はどういう方だろうと互いに言いました。

私たちの神様は、自然万物を造られた方です。私たちを取り巻く環境すべては、この方によって作られました。この方がともにいて下さり、この方が私たちの益のために、すべての状況をご配剤のうちに進めて下さっているのです。私たちはいつも、この状況も、あの状況も、みんな神様のコントロールの中にあるから大丈夫だと、信頼して歩んでいくことができるのです。

アブラムも、痛切にそのことを感じていました。そして、祭壇を築いて、主の名によって、礼拝を捧げました。アブラムもまた、そんな神様の実体験による教育によって、信仰が強められていったのです。

神様への信頼が強められた時、くしくも甥のロトとの問題が浮かび上がりました。彼らの家畜が増えすぎたことにより、緑の牧草をめぐって、なわばり争いがおこりました。
カナン人もペリジ人もいたその地では、アブラムたちは、先住民たちの合間を縫って、生活していました。
アブラムはロトを、わが子のようにかわいがっていたことと思いますが、ここでロトと別れる決断をしました。

「あなたが左に行くなら私は右に。」年長者であり、部族のリーダーであるアブラムですが、ここは、神様の前に、しっかりと静まっていましたから、寛大なる態度でロトに向かっています。
そんなアブラムの心を知ってか知らぬか、10節、これはいい話が転がってきたとばかりに、ロトは、目をあげて眺め、早速の品定めにと、取り掛かりました。
ロトは、いいえ駄目ですおじさん。あなたが先に選んで下さい。ここまで無事に来れたのも皆おじさんのお陰ですからとは言わず、潤った、低地、水が豊富にあって、すぐに作物を多く実らせるような肥沃な土地を探し出しました。

楽な方、豊かな方と、巡り歩くうち、低きに低きに…、彼は、死海の南の端にあったであろう、今は死海の中に沈むソドムの町に住み着きました。
聖書は、ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していたと記しています。
目を上げて眺め、足で確かめ、雰囲気で確かめて住み着いた町がそのような町だったとは。豊かさ、便利さ、目の欲、それらの判断基準によって歩んでいくと、思わぬ罠にかかり、自分から困りごとを抱えてしまう…そんなことになってしまいます。
次の14章では、ロトは近隣の王たちの戦いに巻き込まれて財産ごと連れ去られてしまいます。19章では町が滅亡し、後ろ髪ひかれたロトの妻は塩の柱になってしまいます。

アブラムとロトとのコントラスト。私たちもまた、まず第一に見るべきものを見失ってしまうと、良い良いと思いながら、思わぬ危険に落ち込んでしまいます。

ロトによい土地を差し出したアブラムでしたが、ロトが別れて行った後、主はアブラムに、また祝福のお約束を語って下さいました。

「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。
15 見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。
16 あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。
17 さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」

自分がまず目を上げて、がむしゃらに取り分にあずかろうとしなくても、神様ご自身が、さあ目を上げなさいと、促して下さるのです。ロトは目利きの目を最大限に用いて、その時考えられる最大限の決断をしたように見えます。しかしのちに彼は、命からがら何も持たずに家族だけでソドムから脱出する羽目になりました。しかし、アブラムは、豊かに与えたゆえに、東西南北、見える限りの土地を永久に子孫に与えるとの新しいお約束にあずかりました。
子のなかった彼に、また子孫の約束が与えられました。

天幕を移し、へブロンへ。そこでまた彼は、主のために祭壇を築きました。
ただ主を見上げ、祭壇から祭壇へ。そして世界の主は、世界をそのまま礼拝者に授けて下さいます。

今、イスラエルから始まった神の国は、確かに東西南北、見える限りの土地すべてに広がり、大地の砂粒のように、数え切れないほどに広がりました。私たちもまた、信仰に歩んだアブラムの子孫であります。

「さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」

「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」 1ペテロ2:9

「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」
Ⅱコリント12:9

私たちは何をもたずとも、信仰さえ継承されているのなら、必ずアブラハムのように、どんな状況の中にあっても、失敗の中にあっても、神をあかしし、世の中を生かす祝福の民として生きることができます。
自分からがむしゃらに求めるものではなく、むしろ喜んで与える者に。ご自分の命まで、捧げつくして下さった私たちの主イエス様を目の前にして、今週も、与える者として歩むことができますように。

「さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」

祝福とともに皆様をそれぞれの地に派遣いたします。神様のお恵みが豊かにありますように。

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