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説教原稿

2008年6月8日
「あなたと契約を立てる」
創世記 6章5-13節

アダムとエバにカインとアベルが生まれ、悲劇の後、セトが生まれました。そして神と共に歩むエノク。死が確実に人の世界に入り込み、系図の中に、生まれ、子をもうけ、死んだという繰り返しが綴られました。あまりにも当たり前なことですが、人はもともと死を体験しないように造られていました。神様と共に歩む時、人は死と無関係です。
エノクは、神とともに歩み、死を経験しないまま、神様のもとに引き上げられました。

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
ヨハネ11:25-26

神様が、私たち人間と歩みをともにして下さるのです。堕落して、恵みの主のもとからみすみす離れていく人類。しかし主は、自業自得と切り捨ててしまわないで、心を痛め、胸が切り裂かれる思いで、悲しみ、私の所に戻っておいでと手を差し伸べて下さるのです。神様が、私たちとともに歩んで下さる。私たちは常に、罪を犯して神様から離れようとします。しかし神様が、私たちをとらえて下さるのです。私はあなたをあきらめない。どうしてあなたを滅ぶがままにしておかれようか。

神と共に歩んだエノク。エノクとともに歩まれた神様。そして、そこから、やがてノアが生まれました。
慰めという名のノア。彼は500歳の時、3人の息子を得ました。そしてそれから数十年して、3人の息子は、それぞれの伴侶を得ました。

地上には、人が増え始めていました。彼らは自分の意の赴くまま、めとったり嫁いだりしていました。 
もとより、結婚して子をもうけることはずっと行われていました。しかしここには、美しさにひかれ、おのおの選んだ者を妻にしたと書いてあります。そして、3節に神様は、「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」とおっしゃっています。
神様は、ご自身に似せて人を造られました。鼻にご自身の息を入れ、人は神様の前に、生きる者となりました。演奏家が息を吹き、オカリナがそれに答えて良い音色を響かせるように。神様と人とは、いつも顔を合わせ、ともに霊の交流を持って生きるべき存在でした。塵(アダマ)から作られた人間(アダム)なれど、神様がともにいましますことから、なにも恐れることはありませんでした。弱々しい器であっても、神様が息を吹きかけて下さるのです。イエス様が十字架につかれ、復活され、弟子たちの間に立って、息を吹きかけ、「平安があるように」と語って下さったように。ペンテコステの日、風が吹き霊に満たされ、怖れを知らぬ証し人に弟子たちが変わったように。
しかし、ここで神様は、ご自分の霊は、人の中にとどまれないという、深い悲しみを持っておられました。聖霊なる神様が、人の心に常に住んでいて下さり、人は、その霊の風を受けて、それぞれの音色を奏でて主の御名をほめたたえるのです。しかし、人はそれを良しとはしませんでした。オカリナが、演奏者の口を遠ざけて、私はあなたの息など必要としないとすごむのです。

「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」 黙示録3:20

しかし、地上には人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い図っているのを主はご覧になりました。
人はむなしい塵にすぎないのか。ただの泥人形にすぎないのか。私の霊はいつまでもとどまるものではないのだろうか。
何百年と生きて、常に悪いことばかりを企てる人間。神様は、猶予を与えようとしていらっしゃいました。自分が土くれに過ぎず、神様がお入り下さらなければ、私は本当に満たされることがないのです!どうぞ主よ、いらして下さい!私は神なしのむなしい生活、自分の心を満足させるだけの人生に疲れ果てました。どうかあなたが、私の人生にお入りくださり、私とともに歩んで下さい!私は神様とともに歩みたいのです!こういうのを、何百年も、神様はじっと、待っておられました。

しかし、しかし。人はそのようには向かない。こうして、悪を行う人の人生は、120年に短縮されました。

地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い図っている人間。神様は、その姿をご覧になり、悲しみ、苦しみ、心を痛められました。愛する子が冷たくなって柩に入って帰ってきたのを見る母親のように。その変わり果てた姿を見て、神様は、どうしてこのような有様になり下がるのかと一人、心を痛めていらっしゃるのでした。

主は、私は人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろうと、おっしゃいました。家畜も這うものも、空の鳥も、皆一緒にです。動物たちには罪がないのに、それらの主人である人の罪のゆえに、彼らも一緒になってぬぐい去られてしまうのでした。子供を勘当して、その荷物も一切合財処分してしまうように。
お辛かったことでしょう。しかし、それ以外に手立てはなかったのです。ぬぐい去り、洗いきよめなければならないほどに、悲惨に汚れきってしまっていたのでした。
この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた、見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。
「堕落」「堕落」「堕落」と、三度書かれています。堕落と不法です。あんなに良き世界として造られたのに、今はあちこちが汚され、崩れ、すっかり台無しになり、暴力や残酷、過ちの不法状態のるつぼとなってしまいました。
この世界は自分たちの縄張りと、自分たちの島だと言って、神様が手を差し伸べる者ならかみついてくるような、もうどうしようもなく隔絶してしまったこの世界。
蛇が、高笑いしているのが聞こえてきそうです。

神様が後悔なさったとあります。私たちは神様のお心を自分の心になぞらえて、解釈することはできません。正しい神様が、なぜご自身の行動を後悔するのか。この後悔という言葉には、深い悲しみと、心の痛みが意味されています。
そして、最終的に、不法の子たちを、ぬぐい去るとおっしゃったとしても、神様はご自分のご都合で、作ったり、滅ぼしたり、ご勝手な殿さまだ、なんて、決して私たちには言う資格はないのです。
神様は、悲しまれ、傷つかれ、苦しまれ、ご自分の御業を進められるのです。

そして、神様は、慰めの人ノアに目をお留めになりました。
ノアは主の好意を得た。
そして、ここから、ノアの物語が、始まります。イエス様につながり、私たちにつながる物語が、始まるのです。

初めに神様の好意が、恵みがあるのです。

初めに暗闇の中に光ありき。
初めに不法の中に恵みありき。

神様は、こんな不法の世の中にあっても、神とともに歩もうと願う人に目を留めて下さるのです。神に従う、無垢な人。これは、正しい、義にかなった、完全な、という意味ですが、ノアにも欠けはいくらでもあったでしょう。完全無欠ではありません。しかし、そうであっても、主のご好意、主の恵みが先行するのです。主のご好意、恵みの光の中で、ノアは、神に従う無垢な人と呼んでいただいたのです。
モーセも臆病な一面を持っていました。ダビデも罪を犯しました。イスラエルの民も、さんざん迷い、神への信頼を忘れ去り、罪を犯しました。しかし、主は、それでも人にご自分のお姿を示し続けて下さり、預言者を送り、ついにはイエス様を送ってさえ、私たちを神とともに歩む人と数えようとして下さるのです。
何という壮絶な、神様の人に対する愛の執念でしょうか。主は無条件に好意を寄せて下さり、私たちがまだ罪の中にいたときにさえ、私たちを見出して、懐に抱いて下さるのです。

神様は、怒ってすべてのすべてをおじゃんにしてしまわれるのではありません。神様は、あくまで好意と恵みとを持って、人が神様と歩み続けることができるように、して下さるのです。

ノアと、妻、3人の子と、3人の嫁。この8人が、残ることとなりました。御使いがロトを尋ね、町を滅ぼした時のことを思い出します。アブラハムは、ソドムの町のために、必死に神様に食い下がり、とりなしをしましたが、ついには10人の義人もいませんでした。

しかし私たちはまた、ニネベの町にヨナを送られた神様のことを忘れてはなりません。
「それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」

エゼキエル書には、こうあります。
18:23 「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。」
18:32「わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。

神様は、罪びとであっても、その死を喜ぶような方ではありません。しかし神様は、この時には、汚れをぬぐい去る御業をなさいました。

私たちは、そのさばきの業を責めるのではなくて、そのさばきに先んじて、救いの道を神様が用意していて下さる所に目を留めるべきです。
神様は、救いの箱舟を用意されました。救いの道は、用意されているのです。
ここに救いがあるから入りなさいと言い続けるノアに、多くの人たちは耳を傾けなかったのです。神様の言葉も権威も、お構いなしでした。

しかしノアは、神様のお言葉とともに歩む人でした。神に従う、無垢な人でした。実直、勤勉な人でした。
長さ140メートル!この会堂の15倍の長さ!幅23メートル!この会堂の3倍。高さ14メートル。会堂の2.5倍。
4万トンクラスの船です。体積にしたら、この会堂100杯分くらいです。明かりとりがあり、出入り口があり、3階建て。1つの階は、4.5メートルと、天が高い設計です。階段を上ったり下りたりも、なんと大変なことでしょう!14メートル、この2階建ての教会の約2.5倍の高さですから。

箱舟とは言ったもので、箱のような、立方体の形だったと、考えられています。先をとがらせる船の形は、海を走るときに、水の抵抗を受けにくくするためですが、箱舟は、浮かんでいればそれでよいのです。
長さ、幅、高さ300対50対30。これは今日でも船が浮いて安定する黄金比に近いものだそうです。大型タンカーなど、のっぺりして長い造りになっていますね。

私はこの比率にあった身近なものを探してみましたら、以外にも、カステラの形が当てはまることが分かりました。もっとも2本分、縦長にした形でしたが。ホームページでカステラの寸法を見ていましたら、カステラが食べたくなってしまいました。
カステラ船ならぬモーセの箱舟。長さ140メートルの巨大カステラ船を造るのに、いったいどれだけの木を伐採したことでしょうか。手伝ってくれる人はいたのでしょうか。その費用は、どう賄ったのでしょうか。その手間は、どれだけのものだったのでしょうか。

3人の博士がイエス様に出会うために、計画して歩んだように。いえもっともっと、人生の一大事業が彼の前に立ちはだかりました。
私なら、神様からそう言われて、果たしてえいやと立ちあがれるだろうかと、思ってしまいます。
そして、地上の水の中の生き物を除く、何万種ともあるすべての生き物をつがいでつかまえに行くのです。なんと気の遠くなる作業でしょう!
しかしノアは、こつこつとその仕事をこなしました。

「わたしはあなたと契約を立てる。」
私たちは契約といいますと、何か小難しいことと考えます。契約なんて、決まりごとが細かい字でびっしりと書いてあって、ややこしい。決まりごと決まり事といって、がんじがらめにされそうです。

しかし主のおっしゃる「わたしの契約」とは、救いの契約です。恵みの契約です。神様が、これからずっとあなたとあなたの家族を守ってあげよう、これはそのための契約なのだから。と言って下さるのです。

「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」エレミヤ29:11
「ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。」
馬鹿にされようと、ののしられようと。神様のおことばならばえんやこら。なんという、神様に従順な、無垢な、神様とともに歩んだ人でありましょうか。

私たちの生涯もまた、そのような歩みです。神様のおことばならえんやこら、です。

「草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」イザヤ40:8
「「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』」マタイ4:4

実直で不器用で、人々から顧みられなくても、馬鹿にされても、いいのです。すべて神様が命じられるとおりに果たせば、それでよいのです。

主は、私たちに特別な、救いの、良いご契約をもって臨んで下さいました。そして時至ってイエス様にあって、新しい契約を結んで下さいました。

「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」1テモテ2:4

「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」Ⅱコリント6:2

神様は、私たちのために、イエス様という箱舟を用意して下さいました。私たちが救いのためにどう背伸びすることもできないことをご存じで、信じるだけで救われるように、イエス様を与えて下さいました。神様は私たち人類に、好意と恵みを寄せて下さり、私たちが生きるようにして下さったのです。
「それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」
私たちは、主の裁きの警告をせせら笑い、救いの箱舟であり、救いの契約であるイエス様を退けることなく、しっかりと我が物としたいのです。

そして、恵みを受け、救いを受け、私たちは主の教会を愛する兄弟姉妹とともに建て上げ、この教会という箱舟を、多くの方々に伝え、乗船していただきたいと、ますます祈り、汗を流そうではありませんか。

「従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。
あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。
何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。
そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。」 ピリピ2:12-16
「しかし、わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。」ヘブライ10:39

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