説教ノート
2007年2月25日 主の2007年復活前第6主日
「神の聖化5: 心で神の律法に仕える」
ローマの信徒への手紙7章14-25節(新共同訳)
序論
- 2重人格の人間は、通常病的なもので、パウロは、「罪の法則」と「神の法則」の対立軸によって、深刻な「実生活と滅び」からの脱出に心を向けます。
本論
- ローマ7章14節a: 神の律法は、神の完全な意思表明です。
- 14節: 「なぜなら、すなわち」、私たちは「知っている」と、パウロは、律法の罪との結びつきの強さを扱い、人の「欲情・むさぼり」を「死」に導くものとしましたが、14節の前半では、律法のプラス面に言及します。
- 「律法」は、「霊的な=聖霊的な」ものであると、パウロは言うのです。
- 「欲情・むさぼるな」との戒め・命令は、「律法を知っているすべての人々」への神の意思表明なのです。「欲情・むさぼり」の敗北を人は知っています。
- ローマ7章14b-21節: 神の律法は、私たちが罪の奴隷の心を持っている ことを徹底的に示します。
- 14節b: パウロは、神の律法に仕える者として、神の命令のもと、「罪の下」に ある人間と徹底した信仰告白をします(14b)。
- 15-21節: パウロは、罪の下にある人間の姿を「自分の憎むことを行なう 人間」とし、「心」を「罪」(18)の下に「売られた」人間とも描きます。
- よいもの(優良な、幸福な)、聖なるものが、罪の「法則」(21)とも明らかにします。
- 律法のもつ「神の正しさ」を示す戒め・命令は、人間の「罪」深さ示すのです。
- パウロは、「罪の奴隷」解放は、罪の下に「売られた」者にはできないと示す。
- ローマ7章22-25節: 神の律法は、内なる人の奉仕を求めています。
- 22-25節: パウロは、罪のもたらす「死」と神の恵みの「いのち」を対比します。
- 「内なる=心」人へ挑むのは、「外の=からだ」という構図で論じて行きます。
- 「心」と「からだ」は、戦いの「場所」、「神」と「罪」は、戦いの「源泉」と描きます。
- 25節: パウロは、「心とからだ」へ理解が、勝利者か、敗北者かを決めるのです。
- パウロが、「心」では、神の「律法」・神の戒め・命令に仕えると言うのは、「罪の奴隷」の生活への勝利者である神の求め・要求があるからです。
- 「律法」は、霊的なもので、勝利を必要としているのは、「心=内なる人」です。
結論
- 教会は、主のからだですから、「神の奴隷」として、神の求める「内なる人」で 仕えるものなのです。また、「からだ」も、誰の下に置くかが問われるのです。
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