説教ノート
2007年2月18日 主の2007年降誕節第8主日
「神の聖化4: 罪を自覚させる律法の役目」
ローマの信徒への手紙7章7-13節(新共同訳)
序論
- 罪を責められた時、反発する生き方と罪を認めて悔い改める生き方と2つに 一つしか、選択の余地が、人の人生にはありません。
- キリスト・イエス様に向いて生きる人は、そのお方の生き方に似せられます。
本論
- ローマ7章12節: 律法は、基本的には、よいものです。
- 12節: 神の律法は、戒め=命令として示されます。
- よいものは、「優良な、幸福な」ものとの意味し、それは、<1> 「聖なるもの」で、神が与えたものです。<2> 「神の正しさ」を示すもので、神に向かって生きることを要求するものです。
- 「十戒・10のことば」・契約のことばは、契約の民を形造りました。
- 契約のことばの2枚の石の板が納められた箱の蓋に贖いの血が注がれました。
- ローマ7章7-11節: 律法は、罪の自覚をもたらすのです。
- 7-11節: 12歳になった時、イスラエルでは、律法の「ことば」教えるそうです。
- 「戒め」によって、「私が死んだ」とは、パウロが<1>12歳の時、律法により、罪を 知ったこと(7)と、<2>成人となっての罪に死ぬという回心経験とを指している。
- 神の「規範」は、罪の自覚は与えても、罪を取り除くことはできないのです。
- ローマ7章12-13節: 律法は、罪が人に死をもたらすことを示すものです。
- 10-11節: 律法による自分に死を宣告されたというパウロの信仰告白です。
- 7節: パウロは、「むさぼり」<第10戒目>が、「心がある者に向かうことにより、心の満足を要求する決心」の意味と知りました。
- それは、7章の5節に用いられた霊的な死をもたらす「欲情」で、12歳ころより始まると言われる「自己認識」の経験の一つで、パウロは、人に死をもたらす律法との自覚はあっても、いのちに導く者の存在を見出せなかったのです。
結論
- 罪の力は、欲情をもって、肉体の「死」を迎えるまで、私たちを支配します。
- 律法は、罪の自覚をもたらし、罪の奴隷としますが、私たちが神の義の奴隷として生きる時、それは、最もよいものとなって、罪に死んで、神の義に生きることを示すものとなるのです。
- 律法によって、罪を自覚し、罪を告白して、主に向く決心できる人は幸いです。
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