説教ノート
2007年1月28日 主の2007年降誕節第5主日
「神の聖化1: キリストと一つ」
ローマの信徒への手紙6章1-14節(新共同訳)
序論
- 神の聖化とは、キリスト・イエス様と一つになって生きることで、神がモーセに啓示される時にも、燃える柴の中にご自身を現し、「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから」と仰せになったのです。
本論
- 出エジプトの目的は、祭司の王国建設で、教会は、今日の祭司の王国です。
- ローマ6章1-7節:神の聖化は、キリスト・イエス様の死に合わされることです。
- 1-7節:洗礼(バプテスマ)を取り上げ、
- 「死に与かる」こと(3)
- 「死者の中 からのよみがえる」こと(4)
- 「キリストと一つにされる」こと(5)
- 「罪の奴隷から解放されている」こと(6-7)
- パウロは、罪との決別が、神信仰に徹底する鍵と示し、エバの罪をアダムの 原罪、自分の罪を問うのです。キリスト・イエス様の死と復活は不可分離です。
- ローマ6章8-10節:神の聖化は、罪と死に支配されないで生きることです。
- 5節:キリスト・イエス様に「つぎ合わされる」は、黒崎幸吉先生の説明では、 「ともに成長する」こと、「一つのいのち」にともに与ることです。
- 8節:「もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる」とパウロは言い、自己の葬りと「復活のいのち」を結びます。
- 9-10節:パウロは、神の聖化を罪と死に支配されない生活と啓示します。
- 「キリストのいのち」に日々支配されるのです。
- ローマ6章11節:神の聖化は、神に対して 生きることです。
- 11節:「思いなさい」は、4章24節では、「認められる」や「みなされる」です。
- 基本的には、神がイエス様がご覧になったことを真実とお認めになるのです。
- 神信仰は、キリストの神信仰に生きることなのです。
結論
- キリストのいのちを失っていたザイカイのように、「神の聖なる思い・使命」に 全力で生きることが、本質的な「神の聖化」の道・人生なのです。
- 鋤に手をかけた者は、後ろを振り向かないのです。
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