説教ノート
2007年1月1日 主の2007年年頭主日
「神の義2: 罪赦された恵み」
ローマの信徒への手紙4章1-8節(新共同訳)
序論
- 「神の義」に神信仰をもって与ったアブラハムをパウロは、扱っています。
- アブラハムは、その信仰を「義と認められた神」を証詞します。
- 罪の赦しとは、負い目を福音とする恵みです。
本論
- ローマ4章1-5節: 神の義に与る基本原理は、神信仰です。
- 1節: 「アブラハムの場合」<「場合」は、「見つける」の意味>、「価なしに義と認められる」恵みの証人です。
- 2-8節: 義と「認められた」は、2つの言語で合計7回も用いられています。
- 「不敬虔な者」とは、神への祭儀・礼拝を軽んじ、神が派遣された預言者や神の御子を殺害した人々のことです。
- 神の「赦し」は、基本的には、放棄する、手放すことで、人間が絶対に赦せないはずの「罪人」を神が「赦す」力を神の「働き」の中に見出す人は、幸いです。
- 定家都志男師: とりなしのいのりは、自己犠牲を伴った愛の行いが生まれるはずと仰せでした。赦しに与る恵み!
- ローマ書4章6-8節: 罪の赦しに与ることが、人間の幸福の源泉です。
- 6節: ダビデも、アブラハムと同様、律法の行いの法則・原理とは別の道・生活を見出していました。神信仰の法則・原理です。
- 7-8節: 詩篇32篇1-2節の自由引用です。パウロは、ダビデの信仰告白の幸福感を大事に扱っています。神との正しい関係、「義」を喪失した者が、その回復を一番実感するのです。
- 人間が「死」に直面した時、神と人の前に正直になれるのです。
- 神の義は、罪を1つも「認めない」、計算し尽くされた結果ですから、100%、神の判決に異議を称えることのできる者はいないのです。
結論
- どんな犠牲を払ってでも、神に聴くために、神の聖徒たちがいのちを賭けて守って来てくれた礼拝を大事にしましょう。
- アダムやカインのように、責任転嫁せず、アブラハムやダビデ、そしてパウロのように、神の前に「罪の赦し」の恵みを感謝し、日々幸福感の中に生かされたいと願います。
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