説教ノート
2006年12月17日 主の降誕前第2主日
「滅びを招く罪の本質7: 不正のない神のさばき」
ローマの信徒への手紙3章5-8節(新共同訳)
序論
- 「さばき」とは、1つの明確な判断です。神の「さばき」は、罪に埋没する罪人を「罪に定め」、神の前にその罪を告白した罪人には「神の義」が与えられます。
- ここでの「神の義」は、神の前の生活「規準」を意味します。パウロは、肉の「割礼」(25)について、ユダヤ人の優越性と神の真実並びに、「神の真実」とユダヤ人の契約への不真実とを対比して論じます。
本論
- ローマ3章5-8節:神には、不正がない。
- 5節:人の罪が、「神の正しさ・義」(真実)を示すのです。
- 7節:人の偽りが、「神の栄光」(愛)を示すのです。
- 「神の正しさ、神の栄光」は、神が人間の性質や行動によって支配されるどころか、人間の状況がどのようであっても、それを現すことができるのです。
- パウロは、彼が苦しめたアナニアによって、神の愛と真実を体験したのです。
- ローマ書3章8節:罪にとどまる者は、裁かれます。
- 8節:神の裁きは、神の義と愛を軽んじる者を「罪に定め」ます。神の真実です。
- 神のことばを無視したアダムは、神のさばきを受け、神の園から追放され、悪魔の支配下に置かれたのです。
- 神は、罪の中に埋没した人間の罪を負われ、悪魔の支配から解放されました。
- ローマ書3章8節:神の義に与った者は、生きるのです。
- 5、7節:罪や偽りが、神の義や栄光を現すのは、神のわざがあったからです。
- 詩編51編6節:ダビデは、自分の忠実なしもべ、ヘテ人ウリヤの最愛の妻、バテシェバを奪った罪を預言者ナタンによって示された時、その罪を悔い改め、彼によって罪の赦しの宣言を受けました。神の義と愛のわざです。
結論
- 神は、キリスト・イエス様を死人の中から復活させ、キリスト・イエス様を十字架につけたユダヤ人の不真実をもって、神の真実を明らかにされました。
- 「神の真実」に生きるとは、不真実な者を見捨てず、愛し抜く「キリストの信仰」
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