説教ノート
2006年12月10日 主の降誕前第3主日
「滅びを招く罪の本質6: 裁きに現される神の真実」
ローマの信徒への手紙3章1-4節(新共同訳)
序論
- パウロは、肉の「割礼」(25)について、ユダヤ人の優越性と神の真実並びに、「神の真実」とユダヤ人の契約への不真実とを対比して論じます。
- 「割礼」は、その信仰を義と認められ、「割礼」を命じられたアブラハムのように、神のことばに聴く心の姿勢を問われる行為なのです。
本論
- ローマ3章1-2節:神の律法・割礼は、神のことばの委託である。
- 2節:律法は、「契約のことば」の一部です。
- 神のことばとは、「契約のことば」で、パウロが強調したいのは、ユダヤ人らの待望した救い主「メシヤ」(キリスト)預言のことばです。啓示の優越性です。
- 「割礼」は、神が委託された契約のことばに聴いて生きる民とされた「しるし」で、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神がモーセをエジプトに派遣された時、契約のことばは契約の神の名をもって神の民に委託されたのです。ここに、神の民、ユダヤ人の優越性の根拠があり、契約に真実な神があります。
- ローマ書3章3-4節:神と神のことばは、常に真実です。
- 3節:「割礼」の優越性を受けてパウロは、契約のことばを委託された神の真実と委託に不真実なユダヤ人とを対比します。
- 「メシヤ」(救い主キリスト)が、ユダヤ民族を通して誕生されるという素晴しい契約のことばを多くの預言者や神の選ばれた人々によって語られて来たのに、ユダヤ人は、その「メシヤ・キリスト」イエス様を十字架につけたのです。
- この出来事は、アダムが神のことばを無視して、エデンの園から追放された時、創世記3章15節で、サタンへの勝利預言の成就でした。
- 十字架は、すべての人の罪を担われるためで、パウロは、ユダヤ人の希望の星、ダビデ王の罪の告白のことばを引用します<詩編51編6節>(4)。彼は、ヘテ人ウリヤの最愛の妻、バテシェバを奪った罪を預言者ナタンに指摘された時、この罪の悔い改め、神の赦しと真実を告白したのです。
結論
- 「神の真実」とは、不真実な者をどこまでも見捨てず、愛し抜く「信仰」なので、神のしもべは、自分の真実を求めることではなく、ダビデのように、自分の罪を告白して、真実に主にすがることです。この神信仰が人を生かします。
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