説教ノート
2006年12月3日 主の降誕前第4主日
「滅びを招く罪の本質5: 肉の割礼と御霊の割礼」
ローマの信徒への手紙2章17-29節(新共同訳)
序論
- パウロは、「割礼」が、神の契約の民のしるしであること知るユダヤ人同胞に、 その復活信仰を義と認められたアブラハムのように、神のことばに聴く心の姿勢が大事だと語ろうとしています。そこで御霊の割礼との表現を使います。
本論
- ローマ2章17-24節:神の律法は、創造の神に対して生きるために与えられたのです。
- 24節:律法を「守れない」ユダヤ人は、「罪に定められ」(1)、契約の神の名は、異邦人の中で「汚されている」(24)、「罵られている、悪口を言われている」とパウロは指摘しています。
- 神の「名」は、出エジプト記3章14節で「わたしはある」と啓示されたのです。「存在の源」の意味です。
◇「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」で、「これが永遠にわたしの名、これが代々にわたってわたしの名である」と。神に生きる者との契約の神です。 - 神を礼拝する生活と心、神に対して生きることが大事なのです。
- ローマ書2章25-26節:神の律法は、守るためにあるのです。
- 25節:「律法を守るなら、割礼に価値がある」と「割礼」にパウロは言及します。
- 「守る」は、現代英訳では、「従う」(25)で、良心(神の視点から見て、知る心)で、神のことばに「聴き従う」ことなのです。
- 「良心」は、「創造者の心であり、目」です。
- ローマ書2章27-29節:神の律法の民、心の割礼を受けた者が、神の誉れを受けます。
- 27-29節:神の律法を守る者、聴く者が、「心の割礼」を受けるのです。
- 「心の割礼」は、「キリスト・イエス様の御霊」の内住のことで、主イエス様は、「相互にふたりだけのところで」心に関わり、私たちの生活でご自身を現されるのです。主は、私たちを通して、人々に愛と赦しの誉れを与えたいのです。
結論
- 1:17節:神は、その神に生きる信仰を義とされます。
- 主イエスを心の律法として、主の思いと私たちの思いは、関われるのです。
- 神の律法、割礼は、今は、儀式や司法ではなく、愛と赦しの定めです。
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